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弟、太田成久を偲ぶ

大切な家族であった弟、太田成久を平成12年8月23日、51歳の若き命をC型肝炎という病魔で亡くしました。
当時は、生体肝移植も保険適用でなく、インターフェロンと併薬するリバビリンも個人輸入でしか治療方法がありませんでした。
でも、どんなにお金が掛かろうともたった3人きりの兄弟の命には替えられれません。
医学は日々進歩しており、生きてさえいれば、何とかして又より長い延命の道が開けた事だと思います。
しかし、我々身内の努力の甲斐もなく、鬼のような妻M子と其の家族S家に見殺しにされてしまったのです。
河野洋平氏の元気なお姿を拝見するたび、成久も生体肝移植が間に合っておれば、今頃は元気でまだ働いていると思うと、胸が痛みます。

生体肝移植をしなければ6ヶ月の命と医者に宣告され、その3ヵ月後の入院したぎりぎりまで、私ども身内には知らせず、S家家族全員で口をつぐんでしまったのです。
弟には1日でも長く生きてほしいと願い、我々兄弟間の生体肝移植にも彼女は消極的で「お姉さん、もう少しお時間ください」と。
第1ドナー提供者は妻であるにもかかわらず、彼女は「私は成くんとは血液型が合わないから、ドナーにはなれない」とも言っておりました。
優柔不断な?彼女をせっつき、何とか東大病院への転院、名医幕内先生の手術が決まった翌早朝、靜脈瘤破裂であっけなく逝ってしまった。
延命の道が開かれていたにもかかわらず、彼女は迅速に対処せず、只傍観し、手遅れで死に至らしめたのである。
やはり短い結婚生活では夫に対し情が持てなかったのでしょうか。
返す返すも口惜しく無念の思いです!

弟にはもう時間がないのだからと五月蝿くせっついても彼女はなぜ何もしなかったのか?
弟に管理させていた父の遺産を通夜の前に、自分の家族を動員して銀行から引き出しして、隠してしまったのです。
婚家の財産を略奪せんが為、夫を見放し死に至らしめ、厚かましくもシャーシャーとしおらしい未亡人ぶって暮らしていると思うと悔しくてなりません。

49日法要が終わって父の遺産を他人のM子に管理させておくわけにはいかないので、この際法定に従って父の遺産の話し合いをしましょうと申し出たのですが、会社が忙しいからと何時もの常套句で「もう少しお時間をください」と。
そしてその後、弁護士を通し、遺産は弟が貰ったものだから、自分のものだと言って来ました。その時は実際の金額より遥かに少ない額を提示してきました。
只々彼女の欲の深さに驚き呆れてしまいましたが、預金を引き出してしまえば解らないとでも思っていたのでしょうか。
父の家の処分等の手続きは私が中心になって行なって来たので、その財産管理を弟に任せたのも私ですのでどの位の額があるかは把握しておりました。
あちらの弁護士さんも拙宅へ来訪し、自分の依頼主のM子と私どもの話とが余りにも食い違いが多い為、唖然としたようです。
その後、こちらも動かぬ証拠、各銀行の残高証明を取り寄せ、彼女の大嘘が明白になりました。

そもそも二人の結婚は、父と暮らしていた弟に病身の父がいては結婚が出来ないと言われ、長女の私が父を引き取って出発したものです。
私自身も視覚障害者の夫を抱え、フルタイムの勤めは持っておりますので、条件としてはM子と同じです。
にもかかわらずM子は結婚後、大変な父の介護に関しても一度も参加したことがないので、本来は父の遺産を貰う資格などありません。
しかし、法的には悔しいかな彼女にも取り分を分けなければならないので、法定通りの遺産分割を求めた内容証明に対しても、無しのつぶてで無視されました。
本来ならばこういった事件は家庭裁判所で争うものですが、余り悪質なので東京地方裁判所へ控訴。以後、M子は太田家より離縁しました。
裁判の中でも毎回くるくると言う事が変り、弟と結婚するズーと以前の知りもしない頃のでっち上げを数々言い立て、自分の都合の悪い事となると「否認します」と。
挙句の果て、成久の遺影を取り出し、演技としてびゃーびゃーと泣いてみせます。
呆れかえって話にも何もなりません。

あちらの弁護士、由岐・豊崎法律事務所の由岐弁護士も最初から彼女の嘘に付き合わされ呆れてしまったのか、一度も公判には出席せず、事務所の居候弁護士に任せてしまった事でも、いかに彼女が常識を逸した人間だか明白です。

裁判中はポーズで墓参りにも来、檀家の私共よりも早く1周忌・3回忌と法事を我が太田家の菩提寺、谷中の永久寺で済ませました。
彼女の希望通り分骨もしてあるので、本来ならば実家のS家の菩提寺での法要が筋というものです。
お寺も両方からお布施が入るものですから節操がありません。
そして案の定、裁判が終わったとたんぷっつりとお寺にも来なくなりました。その変わり身の早さには驚かされます。

又、成久の遺品も何一つ分けてくれず、太田家の家宝とも言うべき父の形見品、人間国宝飯塚小玕斎作の竹花篭も彼女は最初の約束を違え返還にも応じなく、到底人間として許し難き数々の行いに、今に撥が当たると思っています。

M子が弟に対し取った行動は、道義上許されざる行為であり、道徳倫理が全く欠落しております。
人の命の重みに対する贖罪の意識の希薄さは言語に絶します。弟の無念の気持ちを思うと、7回忌が近づいた今でも、益々人として最低の決断に怒りを覚えております。
殺人罪、偽証罪、窃盗罪等などで罪の償いをさせたいくらいです。
by chakochan20 | 2006-05-30 12:00 | C型肝炎に関して(4)

太田成久のプロフィール

昭和24年
 1月9日太田直衛・ミノの次男として疎開先の栃木県藤岡町で誕生。
 小さい頃は千駄木のガキ大将に兄が苛められ泣いて帰って来ると、勇敢にも「何故、小さい子を虐めるのかと」抗議しにいくような、子であったとか。

昭和49年
 慶応義塾大学経済学部卒業。㈱弘済出版社・編集部入社。

昭和51年
 ㈱弘済出版社退社。父自営の立教大学の写真室を手伝う。

昭和57・8年頃
 立教大学店撤退。体の自由が効かなくなった父に代わり、母と共に自宅の写真業を手伝う。

平成元年3月
 丈夫だった母ミノを突然くも膜下出血が襲い、死去。

平成4年3月
 男手で病弱な父の世話をするのが大変な事と、予てよりお付き合いのあったS.M子との結婚に向けて、父を姉に引き取ってもらう。家を売却、北区北赤羽に移転。フリーで出版社の編集・校正などの仕事をする。

平成6年4月
 S.M子と結婚。北区上十条のS家の持ち家に移転。所謂スープの冷めない距離。

平成7年秋
 この頃より体調すぐれず、再三医者に行くよう勧めるが、フリーの仕事の不安定とS家の気兼ねやらで、行かず。

平成8年3月
  C型肝炎が判明。子供の頃の予防接種の回し注射針が原因とされる。
  病は気からというが、あまりにS家の人々に気を使いすぎてのストレスからの発病ではないかと思う。本人の頑強な意思で治療が始まり、この時より一滴のお酒も飲まず、努力の甲斐もなく、慢性の肝炎に移行。     

平成12年4月
 東大病院より生体肝移植をしなければ、後6ヶ月の命と宣告される。
 この頃プロレスラーが海外で生体肝移植で死亡したこともあり、まだ、保険が利かず2千万円ほどの手術費も掛かるという事で、二人で手術はしないと決めたそうだ。
 プロレスラー氏は肝臓癌であり、癌の場合、日本では生体肝移植は出来ないそうです。
 直接手術を担当する外科の先生との面談もせず、安易に結論を出すとは石橋を叩いて安全と解っても渡らないくらい慎重な成久に似つかわしくない結論だと思いました。
 何もしなければ確実に死んでしまう。何を考えているのやら‥    

同年7月14日
 大蔵省印刷局東京病院入院。
 この入院によって、始めて余命のことを知らされた我々肉親は生体肝移植の情報を集め、東大病院の先生方にも面会をし、必死になって、生体肝移植に向け説得を続ける。

同年8月22日
 東大病院外科医師より、本人に会って見なければ、生体肝移植を引き受られるかどうか解らないと言われ、即、成久入院先まで面会に来てくれた。
 その場で手術を承諾してくれ、明日東大病院に転院するよう計らってくれた。
 これで光が見えたと喜んだのもつかぬ間‥。

同年8月23日
 早朝水を飲みに洗面所に立ち、その場で倒れている所を発見される。
 意識の戻らないまま、昼頃息を引き取る。享年51歳。
 予てより心配されてたC型肝炎による腹部静脈瘤破裂。
 臨終間近、医師や看護婦さん達の前で、M子は泣き喚き「成君、今度生まれてきても、又飯豊山で会いましょうね」と。人間本当に悲しい時は涙もでません。
 M子の白々しさに唯唯悔しく、「クヤシーイ!」との一言しか出ませんでした。
by chakochan20 | 2006-05-27 13:50 | C型肝炎に関して(4)

S.M子とその家族。

昭和24年9月
 M子は北区上十条在住のS家の長女として生まれる。
 保険会社勤務の父の転勤に伴い、富山で学業を終え、
 短大卒業後、協和エクシオに縁故で入社。
 現在に至る。

平成6年4月
 太田成久と結婚。
 以後も病気の成久に家事をさせながら、共働きを続ける。
 具合が悪い事が解ってからも、男の人は臆病だから、
 なかなか病院に行きたがらないから、一度一緒に病院へ
 検査に行くよう頼んでも、実行せず。

平成12年4月
 C型肝炎で余命6ヶ月と宣告され、始めて一緒に病院へ行き、生体肝移植手術はしないと言いに言ったとか。馬鹿か!
          
平成12年8月
 成久通夜の前に自分の家族を動員して、預貯金を各銀行から引出し、隠してしまた事。
 自分は美容院でうなじをそってもらっている。夫の葬儀の前にそんな心の余裕があるのか。

 通夜・告別式のお焼香時、喪主の父親がうろちょろと立ち上がり、娘の喪服姿の写真を撮っている。
 彼女の弟は親戚の人がお焼香に来ると、なかの親族の席に呼びいれ、度々席を外すし、彼の奥さんは、真っ直ぐ太田家の方を向き澄まし、焼香してくださる人に会釈もせず。
 前々から、太田家の家風とは相容れない可笑しな家族だと思っていたが‥。
 どうみても、悲しんでいるとは思えず、異様な雰囲気の葬儀だったと事情の知らない友人から言われた。          
by chakochan20 | 2006-05-25 15:08 | C型肝炎に関して(4)

参議院審議会

4月26日 参議院 均等法改正審議会

均等待遇アクション21の市川さんたちと均等法改正審議会傍聴に始めた国会議事堂内に入りました。初めてこういう活動への参加で、ましてや風邪を押してことだったので、訳が解らず戸惑いました。
ここで、参考人招致として住友電工の元原告西村かつみさんの真に迫る訴えがあり、思わず拍手してしまい、守衛さんに叱られてしまいました。大勢の議員さんを前に長時間落ち着いてろうろうとお話をなさり、ビックリするやら関心するやらで感激しました。
又、参考人として兼松や岡谷鋼機の弁護団の坂本先生のお話も納得のいくものでした。
コース別雇用は間接差別に当たるから、「雇用管理区分」は用いるべきではないと。
またまた思わず傍聴席から拍手があり、注意を受けてしまいました。
遣ってはいけないといわれていても、人間共感すると思わず拍手が出てしまいますよね。
国会議員さんたちだって、汚いや野次を一杯飛ばしているのに‥。
ここでの出会いがWWN入会する切っ掛けになり、メーリングリストで情報交換が始まりました。
本当の意味でのボランティア活動で、働く女性の支援を長く続け、男女差別において日本は先進国の中で一番遅れているということで、政府や裁判所を動かすには、国連のILO(国際労働機関)やSEDAW(女性差別撤廃委員会)に訴え、世界から日本政府に勧告して変えて
いかなければと、即ニューヨークやスイスに飛んでいって行動に移す、頼もしい女性の団体です。詳しくはリンク先のホームページをご覧下さい。
by chakochan20 | 2006-05-01 14:04 | 活動報告(64)

男女同一価値労働同一報酬


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