<平等→均等→均衡>について

ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク(WWN)の東京のメンバーも有志が集まり、勉強会を始めました。第二回は「第 3 次男女共同参画基本計画」の第4分野の「雇用等の分野における男女の均等な機会と待遇の確保」の読み合わせをし、疑問点などの議論した。

策定過程において、「均等待遇」が「均等・均衡待遇」へと変わっている点に関しての疑問が提起された。行政の世界では、<平等→均等→均衡>の順に、平等への公約の度合いが減るとか。下記は後日、上智大学法学部准教授の三浦まり氏の知らせである。

― 均衡待遇という言葉がでてきたのは92年に可決したパート労働法(93年 施行)が初めで、パート労働法の制定に関わった大脇雅子参議員議員(当時社会党)によると、それまでパート保護法の制定を求めていた人たちは、均等待遇原則を明記するよう主張していたが、労働省の回答として、均衡待遇ならば良いということで、この新しい行政用語が誕生。(大脇さんのHPや著書参照)。正確にいえば、旧パート労働法の第3条において、「通常の労働者との均衡を考慮して」必要な措置を講ずるよう努めるものと規定された。

平等と均等、いずれも英語では"equal"であるが、男女雇用機会均等法は平等法という言葉にはならなかったこと。。
gender equalityの行政訳語が男女共同参画になってしまうことは、官僚(および保守政治家)にとって、平等という言葉がいかに忌避すべきものなのかを示している。

均等は限りなく平等に近いニュアンスを持った用語だが、それと比べると均衡は遥かに劣る言葉となり、均等原則(それに同一価値労働同一賃金)は男性稼ぎ主モデルを否定する原理であるが、均衡は男性稼ぎ主モデルを変革することなく、目に余るような(非合理的な)不公正を都度修正するに留める為の言葉といえる。あえていえば、正規と非正規あるいは異なるコース間の「身分差」はバランスが取れていればよいのであって、身分の差があること自体は当然であるという考え方を表象しているのが均衡という言葉だと。

均衡という言葉が作られると、今度は問題になるのは、どこまでがバランスのとれた合理的差別であって、どこからは駄目なのかという理屈になり、そこで労働省内の研究会で検討が重ねられ指針が打ちだされ、更にはパート労働法の改正(07年)によって、均等待遇されるパート(パートの4~5%)と均衡待遇されるパートの線引きもできる。

均衡という言葉を使い続ける限りは、現実に存在する処遇や賃金の格差をどう正当化するか、という方向へ議論がいかざるをえなく、その結果、家族責任を負う人(大抵は女性)は処遇で差をつけられても当然という理屈が最後まで残るという問題がある。
つまり均等か均衡かは、原理的な対立を呼び起こしており、最近の例では07年に可決した労働契約法において、国会における修正協議の時に民主党は均等待遇を明記するよう求め、自民党が均衡待遇しか受け入れられないということで、最終的には均衡待遇(「均衡を考慮しつつ」労働契約を締結する)で決着した経緯がある。

民主党・社民党の女性議員が均等待遇だけを書き込みたくても、厚労省の抵抗にあい「均等・均衡待遇」となってしまっているのは、保守政治家の抵抗にくわえ、 ジェンダー不平等に基づいた労務管理が望ましい・利益向上につながると思っている経営者の抵抗が強いこと。

「平等」は差異がないものとして扱うことを含意するのに対して、「均等」は差異があることを前提としているというニュアンスの違いがあり、職務評価に基づく同一価値労働同一賃金と均衡待遇の間には、深い溝が横たわっている。
職務評価に基づく同一価値労働同一賃金と均衡待遇は政策思想として相いれないものだから、均衡という二文字が残っている限り、同一価値労働同一賃金へジャンプすることはないと。―

先生に解説して頂き、目から鱗。
男女雇用機会平等法が均等法へ、均等が均衡へと。
行政を担う官僚たちは規制緩和を望む保守政党と経営者への根強い抵抗に配慮、経営者側の抜け道に利用できる曖昧さを含む用語を作る天才であると思った。
by chakochan20 | 2010-06-05 16:16 | 活動報告(64)

男女同一価値労働同一報酬


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